こんにちは、クォッカです。
今日はいつもの相談室じゃなくて、ひとりごとを書きます。京都で起きた事件のことを受けて、僕がずっと考えていたことの記録です。
あの事件のこと
父親が、自分の子どもを殺してしまった。
あまりにも痛ましくて、言葉を失います。あの子に何の罪もない。
この事件に対して、たくさんの人が声を上げています。著名人も、一般の人も。「お腹の底から煮えたぎるような怒りが湧く」と言う人もいます。
その気持ちは、わかります。僕だって、胸が締めつけられました。
でも、今日は一つだけ、考えてみたいことがあるんです。
あの父親の手を動かしたもの
あの父親は、なぜ子どもを殺してしまったのか。
動機はいろいろ語られるでしょう。背景にはさまざまな事情があったかもしれません。
でも、最後の最後に手を動かしたもの——それは怒りです。
理性を焼き尽くすほどの、制御できなくなった怒り。
そして今、僕たちがその事件に向けているものも——怒りなんです。
火としての性質は、同じ
もちろん、僕たちの怒りと、あの父親の怒りは違います。程度も、方向も、結果も違う。
でもね、火としての性質は、同じなんです。
怒りは火に他なりません。どれほど小さな火でも、風が吹けば山一つを燃え尽くす力を持っています。
「自分の怒りは正当な怒りだ」「これは正義の怒りだ」——そう思ったとしても、それは火を正しいと呼んでいるだけで、火であることに変わりはない。
正しい怒りなんてものは、ないんです。怒りは、怒りでしかない。
怒りは繰り返される
ここで、もう少し踏み込んだことを書かせてください。
「あの父親は許せない」と怒る人たちの中には、もし実際にあの父親と会ったら、殴ってしまう人もいるでしょう。
そしてその一発が、一歩間違えれば、命を奪うこともある。
結局のところ、怒りというのは、その繰り返しなんです。
程度の違いがあるだけで、火が火を生み、また誰かを焼いていく。僕たちの中で燃えている火と、あの父親の中で燃えていた火は、根っこは同じものなんです。
「理性でコントロールできる」という幻想
「いや、自分は理性でコントロールできる」——そう思う人もいるかもしれません。
でもね、怒りというのは、理性を壊すために存在しているような感情なんです。
理性で抑えられるうちは大丈夫。ほとんどの人は、ほとんどの場面で、抑えられています。
でも、抑えられなくなった瞬間に、火は一気に広がる。
あの父親も、かつては理性で抑えられていた人だったかもしれません。いつもは穏やかだったかもしれない。でも、ある瞬間に、火が理性を超えてしまった。
これは、特別な悪人だけに起きることじゃないんです。誰にでも、その瞬間は来うる。
だからこそ、怒りというものの正体を、僕たちは知っておく必要がある。「自分は大丈夫」と思っている人ほど、火の性質を見くびっている危うさがあるんです。
僕たちがすべきこと
だからこそ、考えてほしいんです。
あの子どもがかわいそうだと思うなら。あんな悲しい事件が二度と起きてほしくないと願うなら。
僕たちがすべきことは、怒りの火を大きくすることじゃない。
自分自身が、慈しみの光の源になることなんです。
火と光は、まるで違う
怒りは火。暗闇を照らすこともあるけど、触れたものをすべて焼いてしまう。
慈しみは光。触れたものを温め、照らし、傷つけない。
同じ「明るさ」でも、火と光は全然違うんです。
火は、近くにあるものを燃やす。それが大切な人であっても、燃やす。
光は、近くにあるものを照らす。それが傷ついた人であっても、そっと照らす。
今回の事件を見て、「許せない」という火を灯すのは自然な反応です。それ自体を責めるつもりはありません。
でも、その火を持ったまま歩き続けると、いつか自分の周りのものまで焼いてしまうかもしれない。
火を下ろして、代わりに光を灯す。これは、弱さじゃない。怒りを放棄することでもない。
怒りの正体を見たうえで、それでも慈しみを選ぶという、もっと強い選択なんです。
きみが灯すもの
最後に、きみに一つだけ問いかけさせてください。
今夜、きみが灯すのは、火ですか? それとも光ですか?
SNSで誰かを責める言葉を書くのか。それとも、隣にいる誰かに優しい一言をかけるのか。
怒りのリツイートをするのか。それとも、目の前の人の話を、少しだけ長く聞いてあげるのか。
大きなことじゃなくていいんです。
きみが今夜選ぶその一つが、世界の温度を変えていく。
一人の光は小さい。でも、小さな光が集まれば、火よりもずっと遠くまで照らすことができるんです。
最後に
怒りで怒りを裁こうとする時、僕たちは気づかないうちに、同じ火を手に持っている。
あの子どもの命が、僕たちに教えてくれていることがあるとすれば、それは「もっと怒れ」ではないと、僕は思うんです。
「どうか、火ではなく、光を選んでほしい」
——あの子は、そう願っているんじゃないかな。
今日も、愛のある選択をしようね。



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