
こんにちは、クォッカです。
今日はいつもの相談室じゃなくて、ひとりごとを書きます。
最近、ずっと頭の片隅で転がしていた、ある寓話の話。
サソリとカエルの寓話
知っている人もいるかもしれません。古くから語り継がれてきた、こんな話です。
ある日、サソリが川を渡りたいと思いました。でも、サソリは泳げません。だから、川辺にいたカエルにお願いしました。
「君の背中に乗せて、川を渡らせてくれないか」
カエルは警戒します。「冗談じゃない。乗せたら僕を刺すじゃないか」
サソリは答えます。「君を刺したら、僕も一緒に溺れて死んでしまう。そんな馬鹿なこと、するわけがないだろう」
カエルは、その理屈に納得しました。サソリを背中に乗せて、川を泳ぎ始めます。
ところが川の真ん中まで来たとき、サソリはカエルを刺してしまうのです。
驚いたカエルが叫びます。「なぜ刺したんだ。これで二人とも死んでしまうじゃないか」
サソリは、静かに答えました。
「これが、僕の性なんだ」
そして、二人は溺れて死んでしまいます。
優しさだけでは、乗り越えられないものがある
この寓話が突きつけてくるのは、ひとつの厳しい真実です。
変わらない人は、変わらない。
どれだけ約束しても、どれだけ反省しても、性質そのものは、本人にも変えられないことがある。
サソリは嘘をついたわけじゃないと、僕は思うんです。本気で「刺さない」と思っていたかもしれない。「今度こそ、自分の性を抑えられる」と信じていたかもしれない。
でも、性は、本気の決意より、強かった。
僕たちはつい、こう信じたくなります。「愛があれば、人は変わる」。
それは、半分は本当です。愛が誰かの人生を変える瞬間は、確かにあります。
でも、半分は嘘なんです。
愛では変えられない領域が、人にはある。
これを認めるのは、本当に苦しい。だって、それを認めた瞬間、私たちが「いつか変わってくれる」と信じて何年も注いできたものが、無駄だったような気がしてしまうから。
でも、ここを見ないふりをし続けると、川の真ん中で、知らない間に刺されてしまうんです。
カエルが悪いわけじゃない。ただ、ひとつだけ
ここで、誤解してほしくないのは、刺されたカエルが悪いわけじゃない、ということ。
サソリを乗せたカエルは、優しい生き物です。困っている誰かを助けようとした。約束を信じた。そこに、責められる要素はひとつもない。
ただね、ひとつだけ、気づいてほしいことがあるんです。
カエルには、川の真ん中で「降りる」というタイミングが、本当はあったかもしれない。
泳ぎ始めて少ししたとき、背中の上のサソリの呼吸の速さや、爪の動きから、何かを感じる瞬間があったかもしれない。「あ、これはまずいかも」と。
そこで、相手を変えようとせず、説得しようとせず、ただ静かに「ここで降りる」を選べたかどうか。
これは冷たさじゃないんです。
自分が沈まないために、そして、相手も道連れにしないために、必要な選択なんです。
刺すサソリを背中に乗せ続けることは、サソリの人生にとっても、本当はよくない。サソリは、刺さない誰かと出会うか、自分の性と向き合うか、別の道を見つけるべきなんです。カエルが背中を貸し続けることは、サソリの選択肢も狭めてしまう。
親しい人ほど、降りられない
ここで、もう一段深い話を。
「降りる」が一番難しくなるのは、相手が見知らぬ他人のときじゃないんです。
親しいほど、降りられない。
家族、長年の友達、大切なパートナー、子ども、恩のある人。
そういう相手だと、「降りる」が、まるで裏切りのように感じられる。
「ここで降りたら、もう私には誰もいないのかもしれない」 「これだけ尽くしてきたのに、ここで降りたら全部が無駄になる」 「私が降りたら、この人は誰にも助けてもらえない」
——そういう声が、心の中で響きます。
でも、思い出してほしい。
カエルが川の真ん中で降りなかったのは、サソリを愛していたからじゃない。降りるタイミングを、見て見ぬふりしてしまったから。「もう少し進めば岸に着くかも」「サソリも本気で約束したんだから大丈夫」——そういう小さな期待で、警戒の声を上回らせたから。
その小さな期待が積み重なって、ふたりを川の底まで連れていったんです。
「私は今、川のどのあたりにいる?」
もし今、きみの背中に「サソリ的な誰か」が乗っているなら、ひとつだけ、自分に問いかけてみてほしいんです。
「私は今、川のどのあたりにいる?」
岸の近くなら、まだ戻れます。
真ん中なら、降りるタイミングを探していい。
すでに刺されて泳ぐのが辛くなっているなら、まず自分の傷の手当てを優先していい。
相手をどうにかしようとするのを、いったん降ろしていいんです。
きみの愛は、もっと尊い場所へ
最後に、いちばん伝えたかったことを書きます。
きみが今までその関係に注いできた愛は、無駄じゃないんです。
愛そのものは、いつだって尊い。注げる人であること自体が、きみの素晴らしい部分です。
ただ、その愛の向け先だけは、きみが選んでいい。
君のその愛は、本当に受け取る価値のある人に向けて欲しい。
変わらない人を変えようとして使い果たすには、きみの愛は、あまりにも尊いから。
きみの愛を、ちゃんと受け取って、ちゃんと返してくれる人がいる。きみと一緒に岸を目指してくれる人がいる。きみの愛で、本当に人生が変わる人がいる。
その人たちのところへ、きみの愛は届くべきなんです。
「降りる」は、愛を捨てることじゃない。愛をもっとふさわしい場所へ運び直すことです。
最後に
愛があっても、変えられないものはある。だから、愛があるからこそ、降りる勇気がいるんだ。
今夜、もし誰かを背中から降ろす決心がついたなら、それは冷たさではなく、きみがきみの愛を、もっと尊く扱おうとし始めた瞬間です。
サソリは、サソリでしかいられない。 でもね、誰を背中に乗せるかは、きみがいつだって選び直せるんだよ。
今日も、愛のある選択をしようね。


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