「将来やりたいことは?」と聞かれても、うまく答えられない。目標を決めなきゃと思うほど、頭がまっしろになる。そんな焦り、あるよね。
こんにちは、クォッカです🐸
もし今、決められない自分にモヤモヤしてるなら、森の分かれ道で立ちすくんでいた、一頭の子シカの話を聞いてほしいんだ。
結論から言うね。志は、歯を食いしばって無理に作るものじゃない。きみの心が勝手に向いてしまう”好き”のほうへ、素直に足を向ける。そこから始めていいんだ。
分かれ道で動けない子シカと、勝手に動く足

子シカが、森の分かれ道の前で、ずっと立ちすくんでいた。いくつもの矢印がついた道標を見上げたまま、動けないでいる。
「みんなに『将来の道を決めなさい』って言われるんだ。でも……どれがいいのか、ぜんぜんわからなくて」
「わかる……。わたしも『やりたいこと』って聞かれると、頭がまっしろになっちゃう」
クォッカは、丸メガネの奥から、子シカの足元をじっと見ていた。さっきから、その足先だけが、そろりそろりと同じほうを向いている。花のいい匂いがする、小道のほうへ。
「ねえ子シカ。決められないって言いながら、きみの足、さっきからあっちを向いてるよ。あの、花の咲いてる小道のほうに」
「あ……ほんとだ。なんでだろう。あの匂い、好きだから、つい」
「その”つい”だよ。頭で決めなくても、からだが勝手に向いちゃう方角。それが、きみのコンパスなんだ。」
時間を忘れる瞬間に、答えが隠れてる
だれにでも、ふと時計を見て「え、もうこんな時間!?」ってなる瞬間があるよね。ゲームに夢中になってて、とか。好きな漫画を一気読みしてて、とか。
心理学者のミハイ・チクセントミハイは、この「時間を忘れて没頭してる状態」に「フロー」という名前をつけた。ハンガリー生まれの学者で、芸術家やスポーツ選手や外科医、いろんな職業の人にインタビューしたら、みんなこのフローを経験してたんだ。
フローは、ごほうびや評価のためにやってるんじゃない。それ自体が楽しくて、気づいたら没頭してる。いわば”いちばん純度の高い、心の内側から湧くやる気”の状態なんだ。
つまり、きみが時間を忘れる瞬間は、「本心が本当に好きなこと」を教えてくれるサイン。子シカの足が、考える前に花のほうを向いてしまうのと、同じだよ。コンパスの針が、いちばん強く振れてる方向なんだ。
一斎は「志を、無理に作るな」と言った
ここで、二百年前の佐藤一斎の言葉を見てみよう。彼はまず「学ぶうえで、志を立てることほど大切なものはない」と言った。ここまでは、よく聞く話だよね。
でも一斎がすごいのは、その次なんだ。「その志は、無理に作るものじゃない。ただ、自分の本心が好むほうへ従えばいい」と、こう続けた。
【原文】学は立志より要なるは莫し。而して立志も亦之を強うるに非ず。只だ本心の好む所に従うのみ
【よみがな】がくはりっしよりようなるはなし。しこうしてりっしもまたこれをしうるにあらず。ただほんしんのこのむところにしたがうのみ
【意味】学ぶ上で、志を立てることほど大切なものはない。だが、その志は無理に作るものではない。ただ、自分の心が本当に好むほうへ従えばいいだけだ。
「立派な目標を、無理やりひねり出しなさい」じゃないんだ。むしろ逆。きみのコンパスが勝手に指すほうに、素直に従えばいい。志って、奥歯をかみしめて決めるものじゃなくて、”好き”のほうへ足を向けることから、静かに始まるものなんだよ。
孔子も、「好き」の先に「楽しむ」を置いた
じつは同じことを、もっと昔、孔子も言ってるんだ。「これを知る者は、これを好む者に如かず。これを好む者は、これを楽しむ者に如かず」。知ってるだけの人は、好きな人にかなわない。好きな人は、楽しんでる人にかなわない、という意味だよ。
日本の「好きこそ物の上手なれ」も、同じことを言ってるよね。ここで大事なのは、順番。まず”好き”があって、その先に”楽しむ”がある。
だから、好きを大事にすることは、上達の遠回りなんかじゃない。いちばんの近道なんだ。コンパスの針は、その方向へ進むほど、どんどん強くなっていくものだから。
「好きがわからない」「好きじゃ食べていけない」ときは
とはいえ、こう思う人もいるよね。「そもそも、自分の好きがよくわからない」「好きなだけじゃ食べていけないでしょ」って。両方に、順番に答えるね。
まず「好きがわからない」きみへ。コンパスは、いきなり大きな目的地を指さなくていいんだ。「北の方角」がわかれば、それで十分。だから、人生をかけた壮大な夢じゃなくて、「ちょっと気になる」「つい見ちゃう」くらいの、小さな針でいい。必死に探すより、ふと足が向くものに、あとから気づくくらいでちょうどいいんだ。一斎も「無理に作るな」って言ってたよね。
次に「好きじゃ食べていけない」きみへ。それはたぶん、”好き”と”仕事”を、一足飛びにつなげすぎてるのかも。好きは、いきなり職業にしなくていい。まずは、コンパスの向きを知っておくだけでいいんだ。向きさえわかっていれば、その近くで思わぬ道が見つかることもあるし、一生の宝物になる趣味として持ち続けることもできる。目的地は、歩きながら決まっていくものだよ。
一週間、コンパスの記録をとってみて
じゃあ、具体的にどうするか。この一週間、小さなメモをとってみて。書くのは2つだけ。「時間を忘れてたこと」と「つい調べちゃったこと」。それだけでいい。
うまくやろうとしなくて大丈夫。ゲームでも、料理でも、だれかの話でも、なんでもいい。書きためると、バラバラに見えて、じつは同じ方角を指してることが多いんだ。それが、きみのコンパスの北だよ。
一歩先の話をするね。北がわかったら、その方向へ”ほんの一歩”だけ踏み出してみる。気になった本を一冊読む、気になった場所へ一回行ってみる。それだけで、「決めなきゃ」という重いプレッシャーが、「行ってみよう」というわくわくに変わっていく。志は、そうやって、きみの足あとで少しずつ作られていくものなんだ。
よくある質問
Q. 好きなことがコロコロ変わる。飽きっぽいのはダメ?
A. ダメじゃないよ。コンパスは、いろんな方向を試していい。むしろ、あちこち向いてみるうちに、何度も戻ってくる方角が見えてくる。それが、きみの本物の北だったりするんだ。
Q. 好きなことはあるけど、下手だから続ける自信がない。
A. そこは切り分けよう。「好き」と「上手」は、別ものなんだ。孔子も「好きな人は、知ってるだけの人に勝つ」と言ってる。上手さは、好きで続けた先に、あとからついてくるものだよ。
Q. 親や周りが「そんなの役に立たない」と言ってくる。
A. 周りの声は、きみのコンパスのそばに置かれた、別の磁石みたいなもの。近づけすぎると、針が乱れる。参考にはしても、最後にどっちを向くかは、きみの本心が決めていいんだ。
Q. 何を見ても心が動かない。好きも嫌いも、よくわからない。
A. そういう時は、無理に好きを探さなくていい。心が疲れていると、コンパスの針も動きにくくなるものだから。もしその状態が長く続くようなら、信頼できる人や専門家に話してみるのも、ひとつの手だよ。
関連して読みたい記事
自分の気持ちが、自分でもうまくつかめない。そんなときの話も書いてるよ(#5)。「好きがわからない」ときは、こっちものぞいてみて。
それから、学びは机の上だけじゃない、という話(#18)。好きの方角が見えてきたら、日常ぜんぶが、その”好き”を育てる場所になるんだ。
おわりに
森の分かれ道は、これから先も、何度も出てくる。でも、そのたびに地図とにらめっこして「正解」を探さなくていいんだ。
きみの中には、もうコンパスがある。頭でうまく決められなくても、からだが、心が、ちゃんと”好き”のほうを指してくれてる。その針を信じて、まず一歩。志は、そこから静かに始まるよ。🐸🌱
出典:佐藤一斎『言志四録』より









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