#10 変わりたいのに動けないあなたへ|「このままじゃ嫌だ」が動き出す合図

「変わりたい。なのに、どうしても動けない」。頭では分かっているのに、一歩目が出ない。そんな自分に、小さくため息をついていないかな。

こんにちは、クォッカです🐸

もし心当たりがあるなら、池のほとりに立つ、一匹の子ダヌキの話を聞いてほしいんだ。

結論から言うね。動けないきみに足りないのは、「やる気」じゃない。「このままじゃ、ちょっと嫌だ」っていう、その小さな違和感なんだ。しかもそれは、足りないどころか、たぶんもう、きみの中にある。そしてそれこそが、動き出すための合図なんだよ🌱

向こう岸を、毎日ながめている子ダヌキ

向こう岸の小島に、あまくて大きな木の実がなっている。子ダヌキは毎日、池のほとりに立って、それをながめていた。「いつか、渡ろう」。そう言って、今日もまた、くるりと引き返す。

「子ダヌキ。あの島、行きたいんだね」

「うん。でも、まだ準備ができてなくて……そのうち、ね」

「そっか。じゃあ一つだけ聞くね。ずっとこっち岸から見てるだけの今のきみは、どんな気持ち?」

「……正直、ちょっと、いやだ。ずっと、見てるだけなの」

「うん。その”ちょっといやだ”が、いちばん大事なんだ。それがなかったら、きみはこの先ずっと、渡ろうとすら思わないよ」

そのとき、少し先の浅瀬で、じゃぶじゃぶと音がした。見ると、ピヨがもう水に入っている。足首まで浸かって、「つめたーい」と笑っていた。

「やる気が出たら動く」の順番が、そもそも逆さまなんだ

やる気って、待っていても、なかなか降ってこないよね。ソファに座ってやる気が湧くのを待つのは、池のほとりで「泳ぎたい気分」になるのを待つのに、よく似ている。

でも、水って、足を入れて初めて「あ、意外と平気だ」と分かるものなんだ。冷たそうに見えても、浸かってみたらそうでもない。やる気も同じで、動き出したあとから、あとを追ってやってくる。ピヨが考える前に足首まで入っていたのは、じつはいちばん理にかなった順番だったんだよ。だから、「やる気が出ないから動けない」んじゃなくて、「動かないから、やる気が出ない」。ここは、順番が逆なんだ。

「このままじゃ嫌だ」は、自分を責める言葉じゃない。コンパスだ

多くの人は、「今の自分がちょっと嫌だ」という気持ちを、自分をいじめる材料にしてしまう。「なんで自分はダメなんだろう」って。でもね、悔やむことと、悔やみ続けることが違うように、「気づくこと」と「責めること」も、まったくの別ものなんだ。

その違和感は、本当は、方向を指すコンパスなんだよ。「嫌だ」と感じる、その反対側。そこに、きみの行きたい向こう岸がある。子ダヌキが「見てるだけなのは、いやだ」と気づいたその瞬間、彼の中でコンパスの針が、ちゃんと向こう岸を指したんだ。

理想の岸と、今いる岸。そのあいだの“水”の正体

ここで、心理学の話を一つ重ねるね。エドワード・トーリー・ヒギンズという心理学者が、1987年に「自己不一致理論」という考えを唱えた。人には「現実自己(今の自分)」と「理想自己(こうなりたい自分)」があって、その二つのあいだにギャップがあると、落ち込みや不満が生まれる、というものだ。

子ダヌキでいえば、こっち岸が現実自己、向こう岸が理想自己、そしてあいだの水が、そのギャップ。たしかに、その水は「ちょっといやだ」という痛みを生む。でもヒギンズは、同時にこうも言っている。そのギャップこそが、「理想に近づきたい」という、やる気の火種になるんだ、と。

つまり、「このままじゃ嫌だ」という痛みと、「向こうへ行きたい」というやる気は、同じ一つの水の、表と裏なんだ。痛みを消そうとすると、火種まで一緒に消えてしまう。だから、その水は、埋め立てるんじゃなくて、渡るためのものなんだよ。

二百年前の一斎も、同じ岸に立っていた

この「今の自分への小さな不満が、出発点になる」という話。じつは、二百年前の日本の学者、佐藤一斎も、同じことを言い残している。『言志四録』の一節がこれ。

【原文】
立志の功は、恥を知るを以て要と為す。

【よみがな】
りっしのこうは、はじをしるをもってようとなす。

【意味】
志を立てて何かを成し遂げる上で要(かなめ)となるのは、「このままではいけない」と感じる、恥を知る心である、ということ。

ここでの「恥」は、他人にどう見られるか、じゃない。「今のままの自分じゃいけないな」と、自分で気づく感覚のことだ。二百年前の学者も、現代の心理学者も、まったく別の言葉で、同じ一つのことを言っている。動き出しの火種は、才能でも根性でもなく、“今の自分へのちょっとした違和感”なんだ、とね。

「そんなの、意識が高い人の話でしょ」と思ったきみへ

こう思う人もいるよね。「前向きな違和感なんて、もともと意識の高い人だけの特権でしょ」。でも、じつは逆なんだ。

壮大な夢なんて、いらない。「部屋が散らかってて、ちょっと嫌だな」でいい。「最近ダラダラしてるの、なんか嫌だな」でいい。その小さな“嫌だ”に素直になれる人が、いちばん自然に動ける。必要なのは意識の高さじゃなくて、自分の違和感に正直かどうか、それだけなんだ。

それから、もう一つの声にも答えておくね。「動いたら、失敗するかも」。うん、そうかもしれない。でも大丈夫、いきなり向こう岸まで泳ぎ着かなくていい。今日は、足首まで。それなら、失敗のしようがないよね。

水が深く見える日は、浅いところから足を入れる

ヒギンズの理論には、続きがある。理想と現実のギャップが大きすぎると、人はかえって挫折しやすい、というんだ。だから、コツは、向こう岸に一気に泳ぎ着こうとしないこと。

まずは、足首まで。子ダヌキも、いきなり泳がなくていい。浅瀬に片足を入れて、「あ、意外と平気だ」を、頭じゃなくて体で知る。それだけで、水は昨日より、ずっと怖くなくなる。ピヨがやっていたのは、まさにこれだったんだね。

最後に、一歩先の話をするね。いちばん大事なのは、その“ちょっといやだ”を、消さないことなんだ。「まあいいか」となだめて消した瞬間、コンパスは針を失って、きみはまた、ながめるだけの岸に戻ってしまう。違和感は、なだめる相手じゃなくて、使う道具。冷たい水は、渡るために、そこにあるんだよ🍀

気になる問いに、いくつか答えておくね

Q. やる気がどうしても出ません。動けない自分は、だめなんでしょうか。
A. だめじゃないよ。やる気は、動く前じゃなく、動いたあとに来る。だから「まず足首まで」が正解なんだ。順番を知っているだけで、きみはもう十分、前を向いてる。

Q. 「今の自分が嫌」と思うと、落ち込んでしまいます。
A. その気持ちは、自分を責めるためじゃなく、方向を知るために使うといいよ。「嫌だ」の反対側に、行きたい場所がある。落ち込むことと、コンパスとして使うことは、ちゃんと切り分けられるんだ。

Q. 小さすぎる一歩に、意味はありますか。
A. あるよ。浅瀬の一歩は、「渡れた」という小さな感覚をくれる。その感覚が、次の一歩を、ふしぎと軽くしてくれるんだ。小さいほど、続く。

こんな日は、こっちの話も

もし「そもそも先が見えなくて動けない」なら、「先が見えなくて不安なときへ」の話が助けになるかもしれない。逆に「動きすぎて、休むのが下手」だと感じるなら、「休むことに罪悪感があるあなたへ」を読んでみて。きみの“今”に近いほうから、どうぞ。

おわりに

向こう岸は、ながめているだけじゃ、一ミリも近づかない。でも、渡り切らなくていいんだ。今日は、足首まで。その“ちょっといやだ”を、責めるんじゃなくて、コンパスにして。

冷たそうに見えた水は、入ってみると、きっと思ったより、きみを軽くしてくれるから🐸🌱

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この記事を書いた人

私は主に、チャコが読み解いた星からのメッセージを聞き、そこにどんな意味があるのかを読み解き、みんなの人生に落とし込んでいくことをしています。
当たるか当たらないかの占いのような星読みにせず、運命があなたに何を求めているのかを読み解き、人生で起こる全ての出来事に意味を与え、これからの人生の指針となる星読みにするためにチャコと日々星を読んでおります。

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