机に向かうと、なぜか頭に入ってこない。勉強してるはずなのに、ちっとも学んでる気がしない。そんな日って、あるよね。
こんにちは、クォッカです🐸
もし「ちゃんと机に向かえない自分はダメだ」って感じてるなら、今日はひとつ、川からやってきたカワウソの話を聞いてほしいんだ。
結論から言うね。学びは、机の上だけにあるんじゃない。きみの毎日そのものが、いちばん大きな教室なんだ。
机に伏せる子チャッコと、川から来たカワウソ
子チャッコが、机に積んだ本を前に、ほっぺをぺたっとつけていた。
「はぁ……。ぜんぜん覚えられない。わたし、勉強むいてないのかも」
そこへ、川からあがってきたばかりの子カワウソが、ぽたぽた水をたらしながらやってきた。手には、つやつやの貝をひとつ。
「ねえねえ聞いて! 今日、川のいちばん深いとこまで行けたんだ。あそこの岩、朝はすべるけど昼はすべらないんだよ」
「……いいなあ。カワウソは遊んでばっかりで。わたしは勉強しなきゃいけないのに」
「遊んでる、っていうか……。雨が山に降った次の日はね、川の流れが速くなるの。だから深いとこは、その次の日にするんだ。魚がどこに集まるかも、だいたいわかるよ」
子チャッコがぱちくりした。それ、ぜんぶ、どの本に書いてあったの、と。
「本? 読んでないよ。川で、おぼえた」
クォッカが、丸メガネの奥でにっこりした。
「子チャッコ。カワウソくんの教室は、あの川そのものなんだ。ページはめくらないけど、ちゃんと”学んで”るんだよ」
いちばんの先生は、本じゃなかった
二百年ちょっと前に生きた佐藤一斎という学者が、こんなことを書き残してるんだ。学びには順番があって、いちばんの先生は「天」、その次が「人」、その次にやっと「書物」だ、と。
天っていうのは、自然や、世界そのもののこと。びっくりするよね。本を読むより先に「まず世界を見て学べ」って言ってるんだ。
【原文】太上は天を師とし、其の次は人を師とし、其の次は経を師とす
【よみがな】たいじょうはてんをしとし、そのつぎはひとをしとし、そのつぎはけいをしとす
【意味】最も優れた学び方は、自然(天)を師とすること。その次は、人を師とすること。その次に、書物(経)を師とすること。
カワウソにとっての川は、まさにこの「天」なんだ。流れも、岩も、魚も、雨も、ぜんぶが先生。子チャッコの机の上の本は、大事だけど順番でいうと3番目。本がダメって話じゃないよ。順番の話なんだ。
カワウソの頭の中で、学びがぐるぐる回っている
「川で覚えた」って、なんだかふわっとして聞こえるかもしれない。でも中身をのぞくと、ちゃんとした学びの回路が回ってる。
学習の研究をしていたデイビッド・コルブという学者が、1984年に「経験学習サイクル」という考え方を出したんだ。人が経験から学ぶときは、4つの段階をぐるぐる回る、というもの。
やってみる(経験)。ふりかえる(省察)。「つまりこういうことか」と法則にする(概念化)。次にためす(実践)。そしてまた、やってみる。
カワウソに当てはめるとこうなる。深いところを泳いだ(経験)。「雨の次の日は流れが速かったな」と思い出す(省察)。「雨の翌日は、深いとこは避けよう」と決める(概念化)。次の雨の日にためす(実践)。机もノートもないのに、学びのサイクルがきれいに回ってるんだ。
じつは大人になってからの学びの多くは、机の上より現場の経験から来ている、とも言われてる。「百聞は一見に如かず」ってことわざも、同じことを昔から伝えてるよね。百回聞くより、一回見るほうが早い、って。
土佐の山を”教室”にした少年がいた
もうひとり、この生き方をまるごと体現した人がいる。植物学者の牧野富太郎だよ。
牧野少年は、小学校を2年でやめてしまった。授業がつまらなかったんだ。じゃあ勉強しなかったのかというと、逆。彼の教室は、土佐(今の高知県)の山や野原そのもので、教科書は、そこに生えている植物そのものだった。
「この花はなんだろう。名前はあるのかな」。その素朴な問いから始まって、山を歩いては観察し、絵に描き、独学で植物を調べ続けた。その結果どうなったと思う? 生涯で40万枚を超える標本を集め、1500種類以上の植物に名前をつけて、「日本の植物分類学の父」と呼ばれるまでになったんだ。小学校をやめた少年が、だよ。
ここでわかるのは、机に座れた時間の長さが、そのまま学びの量になるわけじゃない、ってこと。世界をどれだけ「見た」か、なんだ。
「でも、やっぱり本で勉強しなきゃ」と思うきみへ
ここまで読んで、こう思った人もいるよね。「そうは言っても、テスト勉強も、資格も、結局は本と机が必要でしょ」って。
うん、その通り。だから安心してほしいんだけど、一斎も、牧野も、本を「いらない」なんて言ってないんだ。一斎はちゃんと書物を3番目に置いてる。牧野だって、山を歩くだけじゃなく、昔の植物の本を筆写して、難しい洋書まで読み込んでいた。カワウソだって、「なんで雨の後は流れが速いの?」の”なぜ”を深めようとしたら、いつか誰かに聞いたり、調べたりが必要になる。
大事なのは順番なんだ。天(経験)がいちばんの先生で、書物はそれを裏づけて、整理してくれる頼れる3番目。順番を逆にして「本さえ読めば」になると、頭でっかちになりやすい。逆に経験だけで本を一切見ないと、我流のまま止まってしまう。天も、人も、書物も、ぜんぶ使う。それが一斎の言う”順番”のほんとの意味だよ。
明日、ひとつだけ「なんで?」を拾ってみて
じゃあ具体的に、何をすればいい? 「机に何時間」をノルマにしなくていい。かわりに、毎日ひとつだけ「なんで?」を拾うんだ。
散歩中に「なんで夕方の空はオレンジなんだろう」。料理中に「なんで玉ねぎって炒めると甘くなるんだろう」。電車で「なんでこの時間だけこんなに混むんだろう」。なんでもいい。
拾ったら、10秒でいいから「たぶん、こうかな」と自分なりの答えを置いてみる。これが、さっきのサイクルの「省察」と「概念化」なんだ。答え合わせは後まわしでいい。そこでやっと、3番目の書物やネットの出番がくる。
一歩先の話をするね。これを1週間だけ続けてみると、ある変化が起きる。「学び=つらいもの」だった頭の回路が、「学び=気づくと面白いもの」に、じわっと変わっていくんだ。カワウソが、遊んでるつもりで川マスターになっていったみたいにね。きみの日常の中に、きみだけの「川」を見つけること。それが、いちばんの近道だよ。
よくある質問
Q. 机に向かうのが、とにかく苦手。それでも大丈夫?
A. 大丈夫もなにも、学びの入り口は机だけじゃないからね。苦手を責めるより、きみが自然に見ちゃう・気になっちゃう場所(=きみの川)を探すほうがずっと早いよ。
Q. 「なんで?」を拾っても、答えがわからないままモヤモヤする。
A. それでいいんだ。すぐ答えが出ない問いほど、後で本や人に出会ったとき「あ、これだ」ってつながる。問いは、答えを引き寄せるフックだと思って持っておいて。
Q. 遊んでるだけで学びになるなら、努力しなくていいってこと?
A. そこは切り分けよう。カワウソは「ただ流されてた」んじゃなくて、川で気づいて、覚えて、次に活かしてた。ぼんやり眺めるのと、”なんで”を拾うのは、別ものなんだ。
Q. 最近ずっと頭が疲れていて、何を見ても入ってこない。
A. そういう時は、無理に学ぼうとしなくていい。頭は休むと、勝手にうしろで整理してくれるから。もし疲れやしんどさが長く続くようなら、信頼できる人や専門家に相談するのも、りっぱな対処のひとつだよ。
関連して読みたい記事
いくつになっても学び直せる、って話も書いてるよ(#1)。「もう遅いかな」と思ったときに読んでみて。
それから、本当に賢い人ほど「自分はまだ知らない」を大事にしてる、という話(#6)。今日の「なんで?」を拾う姿勢と、地続きの話だよ。
おわりに
きみの毎日は、ページこそないけれど、ぜんぶが開かれた教科書なんだ。カワウソの川みたいにね。
机に座れた日も、座れなかった日も、世界を見て「なんで?」をひとつ拾えたなら、それはもう立派な学び。いちばんの先生は、遠くの学校の中じゃなくて、きみのすぐそば、今日の中にいるよ。🐸🌱
出典:佐藤一斎『言志四録』より









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