世界に絨毯は敷けない。でも、靴ならいつでも、自分で履ける
こんにちは、クォッカです🌱
今日は「なんでも、まわりのせいにしてしまう」。その癖から抜け出して、自分の足で立つ話。少し、率直な話になるよ。
この記事でわかること
・足を痛めた王様が教えてくれる、大事な考え方
・「まわりが悪い」で生きる人が、静かに弱くなる理由
・きみを守る、いちばん頑丈な靴の正体
足を痛めた王様は、何を間違えたのか
痛い道のほうを変えようと、国じゅうを革で覆おうとした。世界を自分に合わせるのは不可能。自分が靴をはけばいい、という発想が抜けていたんだ。
ある王様が、はだしで国を歩いて足を痛め、「国じゅうの道を革で覆え」と命じた。でも、そんな量の革はどこにもない。困り果てたとき、賢者が言った。「国じゅうを覆う必要はありません。あなたの足の裏だけ、革で覆えばいい」。それが靴のはじまりだった、という話なんだ。道を変えなくても、自分が靴をはけば、どんな道でも歩ける。世界を変えなくても、自分が変われば済むんだ。
「まわりが悪い」は、なぜ危ういのか
気に入らないものを全部、世界の側に消させようとするのは、王様が国じゅうに革を敷けと言ったのと同じ。やさしさに甘えた瞬間、人は自分の足を鍛えなくなるんだ。
きつい言い方をする人が悪い、遊具でケガをしたら遊具を撤去する、横断歩道で左右も見ずに渡る。やさしい世の中になること自体は、いいことだ。でも、「まわりが配慮すべきだ」が行きすぎて、「だから自分は変わらなくていい」になった瞬間、人は静かに弱くなる。気に入らないものを世界から全部なくそうとするのは、あの王様と、やっていることが同じなんだ。
世界に絨毯を敷き続けると、どうなるのか
絨毯は永遠に敷き終わらないし、いつか必ず途切れる。敷いてもらうことに慣れた人は、それが途切れた場所で、一歩も動けなくなるんだ。
気に入らないものをひとつ消しても、すぐ次が出てくる。世界は、きみを快適にするために存在しているわけじゃないから、終わりがない。しかも、誰かが敷いてくれた絨毯は、いつか必ず途切れる。守ってくれた優しい人がいなくなったとき、通用したルールが届かない場所に出たとき。あぐらをかいていた人は、そこで立てなくなる。守られすぎることは、ときに、その人から「歩く力」そのものを奪ってしまうんだ。
「正しさ」は、自分を守ってくれるの?
守ってくれない。横断歩道で正しく歩いていても、はねられれば痛むのは自分。世界は、きみが正しくても容赦しない。責任は最後まで自分で取るしかないんだ。
歩行者が優先なのは本当だ。でも、わき見運転の車にはねられたら、「車が悪い」と叫んでも、きみのケガは治らないし、失った時間も戻らない。これはルールを守るなという話じゃない。ルールや他人の配慮に、まるごと寄りかかってあぐらをかくのは危うい、ということ。「自分は正しいんだから、まわりが気をつけて当然」。その油断が、いざというとき、自分を守ってくれないんだ。お店で店員さんの態度に腹を立てるのも同じで、相手を変えさせようとするより、そんなことで心が揺れないよう自分を鍛えるほうが、ずっと自由なんだ。
きみを守る「靴」の正体とは?
知恵と人間性だ。変えられるか否かを見分ける知恵と、理不尽の前でも品を失わない心の太さ。絨毯と違い、靴はきみが行くどこにでも、一緒に来てくれるんだ。
知恵とは、これは自分に変えられることか、変えられないことか、を見分ける力。変えられないなら受け入れて学びに変え、変えられるなら自分の手で動かす。人間性とは、すぐ誰かのせいにして爆発しない心の太さ、気まずさを自分でやわらげるあたたかさ、理不尽な相手にも品をなくさない強さ。これは誰かが敷いてくれるものじゃなくて、きみが日々、自分で編んでいくものなんだ。絨毯はその場所にしか敷けないけれど、靴は、どんな職場でも、どんな国でも、きみの足を守り続けてくれる。
よくある質問(FAQ)
Q. これは「弱い人を切り捨てる」自己責任論ですか?
A. いいえ。理不尽を変える努力を否定してはいません。ただ、他人の配慮にあぐらをかいて自分の力を育てないと、いざその配慮が途切れたとき困るのは自分だ、という話です。
Q. ルールや配慮を求めるのは、いけないことですか?
A. いけなくありません。ルールは守るべきものです。危ういのは、ルールや配慮に寄りかかりきって、自分では何もしなくなることです。
Q. 「靴をはく」とは、具体的に何をすることですか?
A. 変えられることと変えられないことを見分け、変えられない相手や環境に心を乱されないよう、自分の知恵と人間性を鍛えることです。
Q. 苦しい状況でも、全部自分のせいにするべきですか?
A. いいえ。原因が外にあることもあります。ただ、嘆いて止まるより、その状況にどう向き合うかは自分で選べる、という点に力を注ぐと前に進めます。
最後に
世界が、きみのために絨毯を敷いてくれるのを待つのは、もうやめよう。待っているあいだ、きみの時間は過ぎていくし、その絨毯は、たぶん思うようには敷かれない。
気まずさも、嫌なことも、苦しみも、大変さも。世界に消してもらうんじゃなくて、自分の知恵と人間性で乗り越えていく。それは冷たい生き方じゃなくて、どんな道でも自分の足で歩ける、いちばん自由な生き方なんだ🍀
今日も、愛のある選択をしようね🐸💕









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